当社は昭和31年に創業し、60年を超える歴史を刻んで参りました。
変化の激しい時代を乗り越え、着実に歩んでこられたのは、お客様、パートナー企業、社員の皆様のおかげと心より御礼申し上げます。
私たちは、お客様に寄り添い、お客様の成長にかける想いを「かたち」にする パートナーとして、これまで積み上げてきた経験と実績にさらに磨きをかけ、
クレームゼロ、生産性の向上、ご要望への対応力を追求、そして印刷を大きな柱とし、そこから新しい事業に挑戦し続け、 どんな時代になっても共に歩んでいける企業となります。
「にこにこ コツコツ」を合言葉に、どんな小さなことも一つ一つ確実に取り組み、 100年続く企業を目指します。
今後とも、ご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。
株式会社マツウラ
代表取締役社長 松浦 月子
社名 | 株式会社マツウラ |
創業 | 1956年(昭和31年) |
資本金
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1,500万円 |
代表者 | 松浦月子 |
職種 | 総合印刷業 |
従業員数 | 16名 |
住所 | 仙台市若林区鶴代町5-75 |
電話 | TEL022-232-4413 FAX:022-232-4468 |
1956年(昭和31年) | 創業 カレンダー販売、うちわ販売始まる |
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1971年(昭和46年)7月 | 会社設立 有限会社松浦商店 所在地 仙台市若林区大和町2丁目52-4 事業主 代表取締役 松浦いなお |
1979年(昭和54年)1月 | 所在地移転 現在地へ 仙台市若林区鶴代町5-75 |
1986年(昭和61年)5月 | 事業主 代表取締役 松浦光男 就任 |
1989年(平成元年)3月 | 社名変更 株式会社マツウラ |
2016年(平成28年)5月 | 代表取締役変更 代表取締役会長 松浦光男 代表取締役社長 松浦月子 |
●創業前の歴史
松浦いな男 大正10年3月26日 仙台市田子に生まれる
智江子 大正14年6月26日 東京都に生まれる
智江子の父の実家はいな男の家と近く、幼い頃からの知り合いだった。
いな男は市役所に勤務
昭和24年 山崎印刷に養子としてはいる
昭和19年 当時東京で小学校教諭をしていた智江子は父の実家の田子へ疎開
仙台市立高砂小学校へ勤務
結婚を機に退職し専業主婦に
昭和24年12月 結婚
昭和26年1月 長男 光男生まれる
いな男は6年間山崎印刷で印刷を学び、昭和30年養子縁組を解消
昭和31年3月 現在の若林区二軒茶屋で松浦商店 創業
●創業時のこと
昭和31年3月 松浦商店はカレンダー・うちわ販売業として創業
ゼロからのスタートだったため、お客様も資金もなく苦労した日々が続いた。
いな男は日中お客様をとるために営業をし、夜に印刷をしていた。
昭和32年から智江子が手伝うようになり、主に営業を担当。
二人三脚での本格スタートをきった。
いな男の知人からの紹介で、一番最初の仕事は、納豆の掛け紙印刷。
そこからカレンダーをはじめ、名刺、伝票、チラシなどを手掛けるようになる。
智江子は教職の経験を活かし営業展開をはかる
当時は女性の営業もめずらしく、着物姿で自転車に乗り一件一件訪問。
智江子の人のために何かをしたいという気持ちと、生活をなんとかしなくてはいけないと思う気迫がお客様の心をつかむ。
お金がなく、お取引先へ支払いを待ってほしいとお願いに行った智江子は、先方社長より「あなた方がどんなに頑張っていて、真面目な方かよく知っている。ですが、どんな立派な人でも商売をするにはお金だよ。」と言われ、悔しくて涙がこぼれた。
そこから仕事のあり方を見直し取り組んでいった。
昭和35年 売上3,000万までのばす
高度経済成長期のためどんどん事業をのばしていく
昭和40年 現在の若林区大和町2丁目に自宅・事務所・工場 新築移転
昭和46年7月 会社設立 有限会社松浦商店
昭和48年 長男 光男 入社
営業として最前線をいく
飛び込み営業もしながらお客様を獲得
さらにお客様をふやしていった
昭和50年 光男 専務取締役に就任
昭和51年10月 光男・京子 結婚
光男は売り上げを増やすため、カレンダーをいただいているお客様を一件ずつ訪問し、カレンダー以外の印刷も積極的に進めながら営業展開していった。
昭和54年1月 現在の若林区鶴代町東部工場団地に事務所・工場 新築移転
売り上げ3億5,000万までのばす
昭和54年3月 長女 月子生まれる
昭和61年4月 創業者であるいな男が他界
光男が代表取締役に就任
昭和63年3月 株式会社マツウラに社名変更
智江子 取締役会長に就任
さらに、営業展開と設備投資をし、現在のマツウラの基盤をつくる。
創業者である智江子は昭和64年まで営業として歩き現役引退
平成2年 結婚してから専業主婦だった京子が入社
最初は事務全般をおこなう
平成11年 月子 入社
営業部に配属
右も左もわからず先輩の背中をみながら仕事に取り組んだ
とにかくお客様をつくることに没頭した
平成14年 京子が総務経理の責任者となる
平成25年11月 創業者である智江子が他界
平成26年 月子 専務取締役に就任
30歳を過ぎたころから、マツウラを引き継ぐことを真剣に考えはじめる。
覚悟を決めてからは、これまで抱いていた不満や不安などがいっさいなくなり、現状と向き合いマツウラ発展のためだけに懸命に取り組んでいった。
平成28年5月 組織変更
松浦光男 代表取締役会長
松浦月子 代表取締役社長
松浦京子 専務取締役
光男から月子へ贈る言葉
社員を大切に
お客様を大切に
協力会社を大切に
智江子はいつも笑っていた。いつもパワフルだった。
地域の皆様のため、お客様のため、人のために生きてきた。
絆や信頼関係を築きながら商売をしてきた。
その精神は今も受け継がれ、現在は京子が会社内をしっかり守り、月子が事業発展のため二人三脚で頑張っている。
株式会社マツウラは100年企業を目指すべく社員一丸となり、どんな状況下になろうと、勝ち残る企業になります。
社是(マツウラの魂)
愛 共に生きる
「お客様・協力会社・社員同士のエンゲージメント(つながり力)強化
相手のことを相手以上に考えて親切丁寧な接し方を心がける」
経営理念(マツウラがこうありたいと願う姿)
一、 | 私たちはお客様に寄り添い、お客様の問題を解決することで、お客様の成長にかける想いを「かたち」にする、日本一の総合印刷媒体・販促企業を目指します。 |
一、 | 私たちはパートナー企業と協力し合い、ともに切磋琢磨し、互いに成長できる関係づくりを目指します。 |
一、 | 私たちは企業倫理を守り、最適な価値情報提供手段を創造することで、地域社会の豊かなコミュニケーションの担い手となることを目指します。 |
一、 | 私たちは互いの信頼を大切にし、着実な進歩を積み重ねることで社会に貢献し、実りある社会生活の実現を目指します。 |